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キャロットアイランドがつくる“奇跡のニンジン”
ニンジン栽培の歴史
かつて島の農業は、主食である甘藷と野菜や豆、穀類などを栽培し、加えて換金作物として評判の高いチキンデークニ(津堅大根)をつくっていました。
戦後の一時期、米軍向けにニンジン、パセリ、カリフラワー、メロン、スイカ、ピーマン等々、さまざまな野菜をつくりました。ちなみに、津堅島でニンジンが栽培されたのは、このときが初めてです。
このような農業を大きく変えた契機は、島の風景を一変させた大規模な土地改良事業(1975~1979年・昭和50~54年)でした。琉球王国時代の土地制度の名残である短冊形に細かく区分された農地が、現在のような広い畑になり、道路や灌漑施設が整備され、近代的な農業の基盤がつくられました。
作物として選んだのがニンジンです。島をおおう島尻マージと呼ばれる赤土は水はけがよく根菜類に適していること、津堅大根を栽培してきた歴史があり、すぐれた根菜類をつくった伝統があることなどが選択の理由でした。1979(昭和54)年に国のニンジン産地指定を受け、また農協に人参生産部会も設け、栽培をスタートさせました。
キャロットアイランドへ
品質においても確たる評判を築いています。ニンジン栽培にかける島の人たちの熱意と努力の賜物です。
いまや島の基幹産業に発展し、津堅島は「キャロットアイランド」として知られています。島の80%が畑、その60%がニンジン畑です。
甘さと栄養分に潮が効く
津堅島のニンジンは甘くて、おいしいうえに、カロチンやミネラルなどの栄養価も高いという優れものです。そのワケはミネラルたっぷりの潮。風に運ばれ、飛沫となって飛び散る潮が畑に降り注ぎます。島中に潮を浴びせる台風の後はミネラルが多くなります。が、せっかく発芽した芽がやられてしまう危険も。ニンジンと台風とのつき合い方はむずかしい!
安心して食べて欲しい
だから無農薬
無農薬のニンジンづくりの基礎は土。種蒔きの1カ月前に緑肥を入れ、土づくりから始めます。雑草はもっぱら手で抜き、小石なども取り除きます。ニンジンは繊細で、小さな石でも曲がってしまうからです。農家は手も、気も抜けません。
エコファーマーの認定を受けている農家もあります。
ニンジンの収穫で交流
3月~5月の収穫期には島外から大勢の人が訪れます。ニンジンは1本、1本、手で抜きます。手伝いの親戚・知人のほかに、ニンジンに魅かれて訪れた人も、収穫に参加して、ニンジンをいただき!
季節になると必ず訪れるグループもいるそうです。
栄養価は科学のお墨付き
津堅ニンジンの甘さと栄養価は科学的にも証明されています。カロチンのほか、カルシウムなどのミネラル分も多いという結果がでています。
津堅 | 9.21 |
綾町(宮崎県) | 6.13 |
食品分析値* | 7.3 |
*日本分析センターの数値
幸地貞子「ニンジンの品質向上に関する作物栄養学的研究」(平成10年度)から
大きな、大きなチキンデークニ(津堅大根)
戦前、島では「チキン」の名を冠し、10キロはあっただろうという紡錘形の大形大根が栽培されていました。水分が多く、甘くて柔らかく、漬物にしても、煮物にしてもおいしいと評判の大根でした。正月を迎えるための大事な換金作物で、年末に収穫し、屋慶名や那覇までサバニに載せて売りに行きました。しかし小人数の核家族では大きな大根は好まれず、栽培は途絶えてしまいました。
島の産業振興に尽くした松根亀翁(まつねかめおきな)が試作し、奨励普及したものと伝えられています。